Magical Mystery Nara Tour

独自の視点で奈良の魅力&情報を発信していきます。

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天然記念物“奈良のシカ” 1頭目を捕獲し殺処分(毎日放送)
"食害対策として天然記念物「奈良のシカ」の捕獲に乗り出した奈良県が17日、
1頭目を捕獲したと発表しました。
奈良市一円に生息するシカは天然記念物「奈良のシカ」としてこれまで保護されてきましたが、
市の郊外では田畑を荒らすなどの問題が出ています。
そこで奈良県は特定の区域に限りシカを捕獲・殺処分することを決め、
先月31日に罠を設置しました。そして17日、県は1頭目を捕獲したと発表しました。
捕獲したのはオスの成獣で、17日朝、県の猟友会が罠にかかっているのを確認。
すでに殺処分したということです。
「今、解体していると思う。遺伝子の調査、胃の内容物を調べることになります」
(奈良県奈良公園室 北畑雄一郎室長補佐)

県は今年度、120頭を上限に捕獲を続ける予定です。”

先日から話題となっているニュースだが、
いきなり見出しだけを見るとショッキングなニュースである。
私も、捕獲だけで殺処分はないと思っていたので驚いたが、
しかし、毎日放送の記事だけでは、誤解を与えかねない内容だ。
もちろん、事実なのは間違いないのだが、
単純に誤解してはいけないのは、
"奈良のシカ"は、=奈良公園の鹿ではないということである。
皆さんがよく知る、奈良公園にいけば鹿せんべいをねだる鹿を捕獲し、殺処分したという話ではない。
そもそも、"奈良のシカ"という定義が曖昧で、特別に地域が定められているわけではなく、
なんとなく奈良に生息している鹿を"奈良のシカ"として、
ゆる~く天然記念物に指定してきたという経緯もあるのである(1957年指定)。
ある意味では、それは凄いことでもあるのだが、
「神鹿(しんろく)」というのも、あくまで春日大社の信仰であって、
明確な"奈良のシカ"という品種がいるわけではない。
今回の、「保護する鹿」と「捕獲する鹿」の経緯については、
以前に記事にしてまとめてあるので、読んでいただきたいが、
【奈良シカ保護見直し、秋にも捕獲へ・・・食害対策で】(2016年03月02日記事)
苦肉の策であるということは、県もよくわかっているであろう。
反対するのは簡単であろうが、万策尽きたというのが事実であろうと思う。
柵を作っては?とか、去勢手術を行っては?とか言う人もいるが、
一体どうやって、生息地域も明確ではない野生の鹿を去勢できようというのであろうか。
今回、捕獲された鹿の地域を見てもわかるが、
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一体、こんな広範囲に渡って生息する鹿をどう管理できるというのか。
私は、このような山間部に生息する鹿は、
いわゆる、春日大社の神鹿ではないと定義しても良いかと思う。
おそらく、今回DNAの調査もしているのも、
奈良公園周辺に生息する鹿との関連性を調べるのであろう。
もちろん、ヘリクツのように聞こえてしまうかもしれないが、
このまま、なにも対策がなければ、それこそ奈良のシカそのものの否定につながりかねない。
それほど周辺での食被害は深刻なのだ。
多くの人は、奈良のシカは奈良時代から神鹿として保護され、
現在のように公園周辺にいたと思いがちだが、奈良と鹿の歴史はそう単純ではない。
そのへんの歴史に関してはこちらが詳しいので、
奈良の鹿―「鹿の国」の初めての本 (あをによし文庫)
ぜひ機会あればご一読してみていただきたい。

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橿原考古学研究所付属博物館に行くと、
このような不思議な展示物に目を引かれる。
これは、御所市の「南郷大東遺跡」から発見された謎の導水施設の模型で、
高台の貯水池から木樋(もくひ)をつたって水が流れるように作られていたと思われる遺跡である。
5世紀前半ころのものと考えられているが、
興味深いのは、途中には覆屋があったことである。
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覆屋周辺からは、たくさんの土器や遺物が出土することから、
なにかしらの儀式のようなものが行われていたと推測されているが、
未だ使用方法などは謎のままである。
今も昔も水は大切な存在であり、稲作が最重要であった古代であれば、
水そのものが信仰のような儀式が行われていたのであろうか・・・。
謎は深まるばかりである。
上記の博物館の展示物も、あくまで復元イメージに過ぎない・・・。

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しかし、私はこの導水施設の模型を見て、ピンと閃いたものがあった。
それは、もちろん御所市と関係があることであるが、皆さん覚えておられるであろうか、
2016年に御所市で流しそうめんのギネスブック登録がされたニュースである。
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流しそうめん、ギネス記録 奈良で3317メートル(産経WEST)
もう、皆さんも私がなにを言いたいのかお察しであろうw
御所市の南郷大東遺跡の謎の導水施設は、
古代の流しそうめんの痕跡だったというのが私の説であるw

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そうめんといえば、奈良の「三輪そうめん」がそうめんの発祥として知られるが、
大神神社に祀られる大田田根子(おおたたねこ)の子孫が、
飢饉と疫病に苦しむ民のために神のお告げによって作ったという伝承や、
奈良時代に遣唐使が伝えた索餅(さくべい)がそうめんの原型になったという説がある。
どちらも、8世紀、9世紀頃の話とされているので、
上記の南郷大東遺跡の時代とは合わないのだが、
もしかしたら、古代の御所市あたりを治めていた葛城氏は、
大陸と関係が強かった?とされるだけに、
なにかしらそうめんらしきもの作る技術を大陸から伝え、
流れるそうめんで、水と穀物(小麦)を崇拝する
神道の儀式(直会)をしていたのかもしれない!?
そもそも、なぜ2016年に御所市で流しそうめんのギネスに挑戦したかがわからないのだがw
もしかしたら、南郷大東遺跡からヒントを得ての企画だったのであろうか。
だとしたら、現代に古代の祭祀が甦った歴史的瞬間であったとも言える。
もはや、南郷大東遺跡が流しそうめんにしか見えなくなってくるのは私だけであろうかw
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これが歴史のロマンだ(震え声)

参考画像元サイト:
三輪そうめんの歴史(三輪素麺工業協同組合)
現地見学会「南葛城の遺跡を訪ねて」に参加(橿原日記)

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