Magical Mystery Nara Tour

独自の視点で奈良の魅力&情報を発信していきます。

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日光東照宮といえば、德川家康を神としてまつる神社として、
知らぬものはいないであろう。
日光東照宮は、栃木県日光市に位置し、
世界遺産にも登録され、風光明媚な場所として観光地としても有名だ。
以前、私も旅行で訪れたことがあるが、
日光東照宮と奈良に所縁があるのはあまり知られていないのではないか。

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日光東照宮といえば、豪華絢爛な装飾による社殿が有名で、
猿の一生を描いた「見ざる聞かざる言わざる」は言わずもがな。
しかし、当初の元和3年(1617)に二代将軍「秀忠」により創建された東照宮は、 
現在の姿とはまったく別物で簡素な造りだったという。
それを三代将軍「家光」が秀忠の死後の寛永11年(1634)から昭和11年(1936)にかけて、
絢爛豪華な姿に改築されていったのがこんにちの東照宮の姿なのだ。
日光東照宮は誰が造ったのだろうか?(日光世界遺産観光)

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さて、結論から言うと、日光東照宮の社殿は、
奈良の談山神社の本殿を参考にして作られている。
家康の遺言では、「遺体は久能山に納め、(中略)一周忌が過ぎたならば、日光山に小さな堂を建てて勧請し、神として祀ること」とあったといい、
その命に従い、元和3年(1617)4月15日、久能山東照宮から下野国日光へ移された。
その改葬の際、吉田神道と山王神道のどちらで祀るかで論争となり、
天海が主張した山王一実神道が採用され、
薬師如来を本地仏とする神仏習合によって祀られることになった。
天海の考案した東照大権現の祭文には、「全因襲大織冠談山大権現之体」とあり、
また『東照大権現縁起』によると、「作法可准多武峯」と記され、
家康を山王一実神道で葬るアイディアは、
多武峯(とうのみね)における藤原鎌足にあることが分かるという。
徳川家康が眠る「久能山東照宮(くのうざんとうしょうぐう)」(神旅 仏旅 むすび旅)

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藤原鎌足といえば、あの大化の改新で知られる「中臣鎌足」のことで、
没後、長男の定慧が多武峯に祀ったのが、現在の談山神社である。
日本で初めて神となった実在の人物といえるわけで、
前例にしたがって多武峯を参考にしたのは必然といえる。
たしかに談山神社の本殿は、色鮮やかな装飾が施されており、
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一般的な簡素な神社の社殿とは趣が違い、日光東照宮のそれを彷彿とさせる。
というのはおかしい。
日光東照宮が談山神社風というべきなのだw
以前、多武峯が「西の日光」とも呼ばれたこともあったそうだが・・・・。
東照宮が「東の多武峯」と呼ばれるのが正しい。
皆さんもお間違えのないようにw

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yuu1
タクシーといえば幽霊の話。
昔からあるよくある怪談のパターンで、
乗客を乗せて目的地につくと後ろには誰もおらず、
座席が濡れていた・・・
なんて話は聞いたことある人も多いのでは。
実際、タクシー運転手にそのような心霊体験があるのかどうか、
気になる人もいるようで、私も今までにお客さんから質問されたこともある。
しかし、ぶっちゃけ私はそんな経験はない
周りでも聞いたことがない。
むしろ、タクシーではリアルな経験談が多く、
酔っ払いに吐かれたとか、うんこをもらされたとか、
幽霊に座席を濡らされる方がよっぽどマシと思えるようなことの方が多い。
しかし、まったくタクシーにまつわる幽霊話がないわけでもない・・・。
一応、今までに私が聞いた話だと。

駅から乗ってきた女の子を家に送ると、
「お金がないので取ってきます」と家の中へ。
しばらく待っても出てこないので呼びにいくと、
なんとその家は葬式の準備中で、
事のあらましを説明すると、家族が絶句。
ドライバーが遺影を見るとまさにその女の子の写真が・・!


なんて、ベタは話は耳にしたことがある。
しかし、それも知り合いの知り合いの・・・話みたいなもので真意は確かめられない。
あと、平城宮跡あたりにバイオリンを弾く霊が出るという話も聞いたことがあるが、
これも本当のところどうなのかわからない。
少なくとも私は見たことないw
もしろ、平城宮跡ならもっと他の霊が出そうな気もしないことはないが、
もちろん、私にそういう霊感がないだけなのかもしれない。
ちなみに、以前TVかなにかで見た話だと思うが、
関東のタクシー運転手は墓地に車を停めて休憩することが多いという。
なぜかというと、墓地が一番人気がなくて安全なんだとか。
やはり、一番怖いのは生きてる人間なのか(震え声)

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