Magical Mystery Nara Tour

独自の視点で奈良の魅力&情報を発信していきます。

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奈良県宇陀市にある「墨坂神社」。
古事記ゆかりの神社や、最古の健康の神と、
紹介では見られる神社である。
実は、私の地元の神社であり、子供ころはよく境内で遊んだものである。
奈良あるあるとして、しばし起こるのが、
子供ころ遊んだりしていた場所が、実は古事記に出てくるとか、
日本最古とか世界遺産だとか、無知とは恐ろしいと思い知らされる時である。

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墨坂神社は、宇陀川のほとりにある神社で、
最寄駅の近鉄榛原駅からは歩いて15分ほど。
もとは、宇陀市の西峠という場所にあって、
現在地へは1449年に移されてきたそうだ。
神社のあたりだけ杉が巨大に成長しており、神聖なもの(=神域)を感じる。
その歴史を紐解くと、たしかに「古事記」や「日本書紀」に名前が出てくる。

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「日本書紀」によると、神武天皇東征の際に、
敵が墨坂(西峠)に、赤くおこした炭を置いて待ち構えていたと書かれており、
第10代崇神天皇の時代には、「古事記」「日本書紀」ともに、
疫病が流行った際、宇陀墨坂神に赤色の楯と矛を祭ったと書かれる。
このことから、墨坂が非常に重要な神であり、土地であったことがわかる。
現在でもそうだが、宇陀は奈良盆地(大和)から、
伊勢など東に抜ける街道沿いでもあり、地政学的な防衛上と、
疫病などを通さない、信仰的なものが両立する場所であったのであろう。

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平成33年には、こちらも「式年造営(しきねんぞうえい)」が行われるようである。
「遷宮」とか「造替」とか「造営」とか、いろいろ言い方があるものである。

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お参り前には、手水舎でお浄めしたいところだが、
やたら丁寧な説明の看板w
ちなみに、女の子の出身は大阪だそうだw
神社の水玉のワンピースの女の子は大阪出身(デイリーポータルZ)

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拝殿奥の本堂は、1864年に春日大社から移された春日造りの社殿。
うっそうとした森が広がっており、中には「山の神」も「水の神」も祀る。
今見ると感慨深いが、子供の頃はただの遊び場だったw
旧社地には石碑も建っているが、
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榛原小学校の近くで、あまりに日常的過ぎて私にとっては特別な感じがしないw
でも、意識せず知らずとも、我々は神に守られていたのである。
そこが神道らしいと言えよう。
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境内を振り返ると、左に鳥見山(とりみやま)で、
右に大和富士こと額井岳(ぬかいだけ)。
素晴しい景色だが、この地はクソ寒いw
きっと、神武天皇もここに宮を作るには寒いと、橿原の方に峠を下ったのであろう。


■墨坂神社
住所【奈良県宇陀市榛原萩原703】
電話番号【0745-82-0114
駐車場【なし】
HP【http://sumisaka-jinjya.jp/


■墨坂神社伝承地

また今年も奈良の「山焼き」の時期がやってきた。
東大寺の東側、若草山を焼くという、
豪快極まりない祭りであるが、奈良の冬を彩る伝統行事である。

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とはいえ、「山焼き」の起源は諸説ありよくわかっていない。
一説には、東大寺と興福寺の境界争いが発端だったといい、
一番古い記録では、鎌倉時代(1255年)に東大寺の僧侶が山頂に建てたお堂に、
興福寺の衆徒がそれを壊し、火をつけたとあるそうである。
奈良歴史漫歩 No.047 若草山山焼きの起源
その他には、山頂には「鶯塚古墳」という前方後円墳があり、
不気味なせいか妖怪が出るという噂がたち、
町民が妖怪を払うために勝手に火をつけ危ないので、
奈良奉行所が管理し、一斉に火をつける山焼きになったのだという。
近年では、こちらの説を公式見解としているみたいだ(若草山焼きの起源 - 若草山焼き)。
しかし、単なる山を焼くという行為にも、歴史と伝承がある奈良。
まだまだ奥が深いw

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ちなみに、今年(2017年)の「山焼き」は、1月28日である。
以前は、紀元節(2月11日)や成人の日(1月15日)に行われていたが、
近年は、第4土曜と決まっているので、毎年日にちは変動する。
このへんは、未だ奈良の人も馴染み切れていないようで、
よく、
いつ山焼き?もう終わった?なんて会話を耳にする。
さらにややこしくさせている原因は、成人の日も3連休にするために、
第2月曜と変動式になったからで、もはや意味不明にさえなってきてる。
本来、古来からの元服の儀を行う小正月の1月15日に意味があったと思うのだが、
これも時代の流れというものなのだろうか・・・。

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