2013-12-10kaguya1
ジブリの映画「かぐや姫の物語」を今更ながらに拝見。
正直、アカデミー賞で話題になっていたし、いつか機会があれば見てみようぐらいで、
丁度、テレビの放映があったのでようやく見ることとなった。
そして、衝撃を受けることになる。
竹取物語は仏教の話だった。

「竹取物語」といえば、日本人なら誰でも知っているであろう物語で、
あらすじ程度なら誰でも話すことができるだろう。
しかし、実は「竹取物語」は、
奈良が舞台になっている話だということを知る人は少ないであろう。
「竹取物語」の舞台となっているのは、奈良県の広陵町という場所で、町に行けば、
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巨大なモニュメントもあり、
もちろん、ゆるキャラもかぐや姫だ。
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では、何故「竹取物語」の舞台が奈良の広陵町と言われるのか。
かぐや姫を見つけるおじいさんの名前と住んでいた地名が、
広陵町にある「讃岐神社」に所縁があるという。
かぐや姫情報 云われ(広陵町HP)
そして、かぐや姫に求婚する5人の貴族が、
飛鳥時代の壬申の乱で活躍した実在の人物として「日本書紀」に名前が記載されており、
「古事記」には、纏向に宮があった垂仁天皇の子供に、
「迦具夜比売命(かぐやひめのみこと)」がいたと書いてある。
少なくとも、奈良が舞台になっているのは間違いなさそうなのである。

「竹取物語」の話が作られたのは平安時代と言われ、
その時代といえば、末法思想により阿弥陀信仰が流行った時代である。
(※末法思想とは、釈迦が死んで1500年経つと、仏教の力が弱くなり最悪の世が訪れるという考え)
「竹取物語」が、まさか仏教の話だなんて信じられない方もいるかもしれないが、
映画「かぐや姫の物語」のラストシーンで、月からかぐや姫を迎えにくる使者の描き方は、
完全に阿弥陀如来の来迎図であった。
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しかも、そのお迎えの日である、8月15日の満月の夜は、
お盆である。

仏教では太陽が沈む、西の先にあの世(極楽浄土)があると信じられていた。
月は、夜になると現われる浄土の世界(死の世界)のイメージであったと思われる。
その月から来たかぐや姫は、浄土の世界の姫だ。
かぐや姫は、地球に来た理由を「罪を犯したから」だと言う。
浄土の世界から見たこの世の地球は、煩悩あふれる苦行の穢れの地。
そうであるのにかぐや姫は、この世に憧れを抱くという罪を犯す。
かぐや姫は浄土世界の王である阿弥陀如来に、
「もう1度修行し直してこい!」と勘当されたのであった。
そして、記憶を消され赤ちゃんの姿になって、竹の中から生まれることとなる。
(昔、土葬であった時代に、死人がもし生き返っても息が出来るようにと、
竹を墓に立てる習慣などがあったらしい。)

そして、この世に生まれたかぐや姫はすくすくと成長していく。
しかし、楽しく過ごしていた田舎を離れなくてはならなくなり、
上京し、だんだんと生きることの辛さを感じるようになってくる。
そして、極めつけに、帝(天皇)によるセクハラで、
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この世は煩悩あふれる、
穢れの地だと絶望してしまう。

かぐや姫が悟りを開いた瞬間である。
そして、はれてかぐや姫の罪は解かれ、阿弥陀如来が月から迎えにくることになるのである。

この、とても子供向けとは思えない哲学的アニメ映画。
「火垂るの墓」で知られる高畑勲監督の、
現代人に贈った救済のメッセージではないだろうかと思う。
なぜなら、今現在も末法思想は続いているからである。
末法の世が終わるまで、あと9000年は待たないといけない。
人の願いは、今も昔も変わらないのだ。

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