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「信貴山縁起絵巻」とは、
奈良県生駒市の朝護孫子寺に伝わる絵巻物である。
平安時代末期に描かれたもので、日本のマンガ文化のルーツとも言われ、
「鳥獣人物戯画」などと並び、四大絵巻の1つとされ国宝に指定されている。
その「信貴山縁起絵巻」が、この度4月9日からの奈良国立博物館の特別展として、
史上初の全公開されることになり注目を集めている。
国宝 信貴山縁起絵巻 朝護孫子寺と毘沙門天信仰の至宝 
「信貴山縁起絵巻」は、マンガ文化のルーツとも言われるぐらいに堅苦しいものではない。
「命蓮(みょうれん)」という、平安時代に実在したとされる僧侶を主人公にしており、
その命蓮のスーパー超能力者ぶりを描く、フィクション性の高い物語である。
三部作で構成されており、私は勝手に奈良の「ロード・オブ・ザ・リング」と呼んでいる。
さしずめ、「パワー・オブ・ザ・ミョウレン」と言ったところであろうか。 
その壮大な三部作。簡単にあらすじをご紹介したいと思う。

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第一巻「山崎長者の巻」
信貴山で修行をしていた命蓮は、山から下りることはなく、
法力(超能力)で鉢をふもとの長者の家に飛ばし、食べ物などをもらい生活していた。
ある日、また命蓮が物乞いのために長者のもとへ鉢を飛ばしたなら、
それを忌々しいと思った長者は、鉢を倉に入れ鍵を閉めてしまった。
すると突然、倉が浮き始め、鉢は倉ごと命蓮のいる信貴山へ飛び立って行ってしました。
長者は信貴山に出向き、命蓮に「倉を返してもらえないか」と懇願する。
命蓮は「倉は返せないが、中身だけは返してやろう」と、
大量の米俵だけを鉢に乗せ飛ばし、長者の家まで送り届けたのであった。

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第二巻「延喜加持の巻」
都では、醍醐天皇が重い病に苦しんでいた。
近年、信貴山の命蓮という修行僧が、不思議な力で話題になっていると聞いた天皇は、
命蓮に祈祷して病を治してもらおうと、信貴山に使いを出す。
しかし、命蓮は天皇の使いの申し出でも山から下りる気はなく、
信貴山に居ながら天皇を祈祷すると言い、使いの者を返そうとする。
使いの者は、「仮に醍醐天皇の病が治ったとして、
それが命蓮の祈祷のおかげと、どうやって証明するのか?」と問うと、
命蓮は、「その証の目印として、醍醐天皇の病が治った際には、
剣の護法という童子を遣わしましょう」と言って使いを返した。
それから3日後、醍醐天皇が夢うつつでまどろんでいると、光るものが彼方からやってくる。
それが剣の護法の童子であった。
醍醐天皇の病はすっかり良くなり、褒美を与えるために命蓮のもとに使いを送るが、
命蓮は「褒美はいらない」と頑なに拒否するのだった。

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第三巻「尼公の巻」
奈良に修行に出ると言って、地元(信濃国)を出たまま帰らない命蓮に、
一目会いたいと、姉の尼公が命蓮を探して旅に出た。
道行く人に尋ねても、命蓮の居所はわからず、
最後に東大寺の大仏の前で「弟の居場所はわからないか?」と一晩祈った。
すると、うとうとしていた尼公の夢の中で「南西の山へ向かえ」とお告げがあり、
お告げ通り南西の山、信貴山に辿りついた尼公は、無事弟と再会できた。
結局、尼公もその後、故郷に帰ることはなく、
命蓮と共に信貴山で仏に仕える生活を送ったのであった。
めでたし。めでたし。

と、物語のあらすじをざっと書くとこんな感じであるのだが、
このようなストーリーを、登場人物の豊かな表情描写と共にコミカルに描く。
まさにマンガの原点とも言われる由縁である。
しかし、今となれば非常に歴史的に資料としても貴重なものであり、
尼公が大仏殿の前でまどろむシーンでは、
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創建時の大仏殿の姿が、唯一絵として残されており、
また、当時の庶民の姿を描いているものとしても貴重とされ、
信貴山縁起絵巻尼公巻
こちらの尼公が集落を訪れるシーンでは、
家の中に猫が描かれているのがお分かりになるであろうか。
これが日本絵画史上で最古の猫が描かれたものではないのかというのである。
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猫には首輪のようなものも描かれており、
当時すでに、ペットのようにして飼われていたのであろうか。
こんな貴重な歴史伝統も伝えてくれる「信貴山縁起絵巻」は、
まさに国宝のマンガと言えることができるであろう。