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奈良まほろばソムリエ検定の最上級、
「奈良まほろばソムリエ」の結果が発表された。
今年の第10回目では、203人がソムリエ級に受験し、
合格者はわずか48人。約2割の合格率であった。
奈良商工会議所・第10回奈良まほろばソムリエ検定試験結果
私は、ご存じのとおりソムリエ級を受験しており、
その複雑な心境は以前の記事で書いているがw(ソムリエ検定を終えて。
今回合否通知が届き、
無事「奈良まほろばソムリエ」に合格を果たした!
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素で嬉しいw
いつもブログで偉そうなことばかり書いているので、
これで落ちたら笑いものになると、相当のプレッシャーを感じていたがw
とりあえず、肩の荷が下りた。
点数は72点と、予感通りのギリギリであった。

今回、改めて試験を思い返して痛感したのは、
本などの机上の知識はさほど役に立たないということである。
いや、そのような基本的な知識はあって当然というレベルである。
この3年間、奈良に関する本は読まない日はないというほど読んでいたが、
その知識の上に、いかに現地に出向いているかという経験値を問われると感じた。
さらに、自分で訪れたり、興味を持ったものは、
要点を押さえて整理するという作業も重要である。
出来れば、人に見せるのを前提のような文章を書く練習がいいかもしれない。
私にとっては、このブログがそのようなスキルを磨くのには役に立った。
ちなみに、私は選択問題を9問も落とし、32点しかなかった。
で、72点で合格できたということは、40点分は記述で稼いだということである。
かなり危ない橋を渡っていたことがお分かりになるであろうw
(ソムリエ級は、選択25問50点。記述3問50点。合わせて70点で合格点)

しかし、そこそこ文章を書く自信があった私でも、
あの制限時間内で、800字もの文章を書くのは至難の業であると感じた。
そのためには、事前に問題を想定して作っておくことが重要で、
ヒントがもらえる商工会議所の認定支援セミナーは必須であり、
ソムリエの会が主催する受験対策講座での経験も糧になった。
さらに、1級を受けるために受講する体験学習プログラムの参加もしたりした。
これは1級やソムリエに受かっていても参加できるもので、
試験は別にして、単純におもしろいし、勉強になる。
たしかに、認定支援セミナーではヒントはもらえるのだが、
ウソヒントも出されるのでw、過信はできない。
正直、選択問題で数問と、記述も今思えばヒントが散りばめられてた気がするが、
私の予想がズバリ当たったのは1つだけで、
あとの2つはその場で練らなければならなかった。
ちなみに、200字で14個、400字で6個ほど想定問題を用意していた。
で、今年の記述の問題は、
200字、
■奈良県内の運慶仏について
■奈良奉行について
■高取城跡について
■竹ノ内街道について
■額田王の万葉歌について
400字、
■秋篠寺
■二上山
■役行者ゆかりの地
■宇太水分神社
■信貴山

といった感じで、運慶仏に関しては、ズバリヒントが出ている感じであったが、
あとは、結構、は?であったw
人物名で漢字の練習していたので、200字はそれが役に立ったが、
400字がクセもので、一応、西大寺周辺を想定して準備していたので、
それを組み立て直すことで書くことに決めた。
個人的には、もっと自信があった場所を完璧に用意していたのだが、
まったくかすりもしなかったw
結局、高得点は狙えないが、安全牌を選んだわけである。
結果それが功を奏して合格につながったのだとは思うのだが、
非常に当たり障りのない内容な上に、
秋篠寺周辺で、佐紀盾列古墳群を完全に無視するという際どい内容w
古墳については、自説があるのだが、
あまり詳しい方ではないし、墓穴を掘ると思ったのだ。
よって、あえて秋篠寺から南下するルートを取って、
寺院で統一してみるということにした。
結果の内訳はわからないので、もしかしたら、
それが逆によかったのかもしれないし、悪かったのかもしれない。
ソムリエ級は、2級、1級のオールマーク式とは違い、
どのような回答が正しいのか、よくわからないので、
たぶん、これから受けようと思う方も、そのへんに相当悩むはずである。
言えることは、200字は正確な説明文を要求され、
400字は、人が奈良に魅力を感じるような案内文が必要とされるので、
決して、難しい知識を披露する場ではないということである。
と、受かったからこんな偉そうなことを言えるだけでw
たぶん私はギリギリの線であったと思うw
とは言え、今回私がどのような記述で合格できたのか、参考までに記しておきたいと思う。
一語一句は正確に覚えてはいないので、ほぼこんな感じだったということでご了承願いたい。

■奈良県内の運慶仏について
「鎌倉時代の仏師運慶の制作でわかるものは、
 最古のものでは、円成寺の大日如来像が知られる。
 若き運慶のデビュー作とされ、制作期間が11ヵ月かけられたことから、
 運慶単独の制作と言われている。運慶一門の制作では、
 東大寺南大門の金剛力士像、興福寺南円堂の弥勒仏坐像、
 世親像、無著像が知られる。国宝館に展示される木造仏頭も運慶作とされ、
 近年では、東大寺俊乗堂の重源像も運慶作ではないかという説が言われている」

■奈良奉行について
「奈良奉行所は、江戸時代に奈良に置かれた奉行所で、
 江戸の奉行所より大きい日本最大であった。奉行初代は中坊秀政。
 1670年、奉行についた溝口信勝は、翌年春日大社の鹿が人をつついたり、
 鹿同士でケガをすることがあったので、興福寺に命じ鹿の角切りを始めた。
 明治にかけて梶野良材は、正倉院と宝物の点検を行い、現在の正倉院展とつながった。
 桜やモミジを植え、人々に慕われた川路聖謨は、興福寺近くに石碑が建つ」

■秋篠寺
「住宅街の中にある秋篠寺。しかし、一歩入るとコケが一面に広がる美しい光景が目に入る。
 本堂の本尊は薬師如来だが、脇侍の伎芸天に注目したい。
 顔と体では年代は違うが、そうは感じさせない美しい姿である。
 秋篠寺を出て南に向かうと西大寺がある。
 称徳天皇創建の寺であるが、当時の面影は残らない。
 しかし、創建の由来にもなった四王堂の四天王像の、
 増長天の足元の邪鬼だけは唯一当時のものであると説明したい。
 西大寺から南に行くと菅原天満宮がある。このあたりの地名も菅原と言い、
 菅原道真の生誕地とも伝わる。春には盆梅展でにぎわい、珍しい筆塚も案内したい。
 菅原天満宮のすぐ近くにあるのが喜光寺で、行基創建と伝わる。
 行基が大仏殿と作る際に参考にしたと言われる本堂は、「試みの大仏殿」と呼ばれ、
 10分の1のサイズのどこか可愛らしい本堂を見て、案内を終えたい」

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奈良の本1「奈良まほろばソムリエ検定 公式テキストブック」

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