奈良に来たならぜひ見るべきおすすめ仏像と、
その魅力を発信していく「奈良仏像のすゝめ」。
今回ご紹介するのは、唐招提寺の「鑑真和上坐像」。
週刊 原寸大 日本の仏像 No.13 唐招提寺 鑑真和上像と金堂
奈良時代に、僧侶に免許を与える(受戒)ために、
遥々、唐から命がけで渡来してきた鑑真和上。
その鑑真の晩年、死期を悟った弟子の忍基(にんき)が、
鑑真の姿を後世に残しておきたいと製作したとされるのが、
この日本最古の肖像彫刻でもある国宝「鑑真和上坐像」である。
まさに生き写し、まつ毛や無精ひげまで描写されるこだわり度である。
当時、遣唐使船で海を渡るのが命がけだったのは、
航海自体が危険であったことと、
唐が僧侶の国外への渡航を禁止していたからである。
しかし、鑑真は日本へ渡ることを決意し、
5度の失敗をし(2度は密告により失敗)、6度目にしてついに来日を果たした。
その時、仏師も含む鑑真の弟子たち(24人)も来日していた。
まさに弟子(仲間)と命がけの航海、
奈良時代のワンピースとも言われている(言われてませんw)
ONE PIECE 1 (ジャンプコミックス)
鑑真が、弟子たちからどれほどまで尊敬され、慕われていたかは、
その肖像の技法を見ればわかるという。
鑑真和上像は、脱活乾漆造(だっかつかんしつ)という、
あの阿修羅像と同じ技法で作られている。
土と木組みの土台に、麻布とペースト状の漆(うるし)を塗り付け、
表面が乾き固まった後、土台を取り除き空洞にする技法である。
しかし、鑑真和上像は、阿修羅像などに比べ、
表面が滑らかではなく、デコボコでいびつだという。
当時、洗練された仏像を作る技術は奈良にはあったが、
あえて、手作りのような質感を出しているのだという。
これは、おそらく弟子たちが、ヘラで綺麗に仕上げるのではなく、
指で撫でるように、漆を塗り込んだからと思われる。
さらに、貼り付ける麻布も、通常より目が細かく、
仏像には適していないものが使われている。
これも、鑑真が実際に着ていた着物を、
あえて使用したのではないかと思われている。
このような事実がわかったのは、平成23年(2011)4月からスタートした、
鑑真和上像のお身代わり像(レプリカ)の製作において、
詳細な調査をした結果からであった。
国宝 鑑真和上坐像」の高精細デジタルアーカイブを実施(凸版印刷)
レプリカというと語弊があるのだが、本来「本体」の鑑真和上像が、
命日の6月6日前後の3日間しか公開されないために、
いつでも鑑真の姿を見たいという、訪れる人への思いに応えてと、
鑑真没後1250年を記念して、製作&調査が行われたものである。
当時と同じ製法で、まったく寸分たがわぬ分身を作るため、
2年の歳月をかけ、ついに平成25年(2013)6月に完成した。
現在は開山堂にて、常時見れるようになっている。
もはや、分身といってもよいお身代わり像であるが、
なによりも、弟子たちが鑑真の姿、
鑑真の精神を、後世に残したかったという思いが詰まっている。
ぜひとも、唐招提寺を訪れた際には、
鑑真像を前に、鑑真と弟子たちに思いを馳せていただきたい。
■仏像DATA
名前【乾漆鑑真和上像】
場所【唐招提寺(MAP)】
製造時期【奈良時代】
技法・材質【脱活乾漆造】
像高【0.80m】
指定【国宝】
その魅力を発信していく「奈良仏像のすゝめ」。
今回ご紹介するのは、唐招提寺の「鑑真和上坐像」。
週刊 原寸大 日本の仏像 No.13 唐招提寺 鑑真和上像と金堂
奈良時代に、僧侶に免許を与える(受戒)ために、
遥々、唐から命がけで渡来してきた鑑真和上。
その鑑真の晩年、死期を悟った弟子の忍基(にんき)が、
鑑真の姿を後世に残しておきたいと製作したとされるのが、
この日本最古の肖像彫刻でもある国宝「鑑真和上坐像」である。
まさに生き写し、まつ毛や無精ひげまで描写されるこだわり度である。
当時、遣唐使船で海を渡るのが命がけだったのは、
航海自体が危険であったことと、
唐が僧侶の国外への渡航を禁止していたからである。
しかし、鑑真は日本へ渡ることを決意し、
5度の失敗をし(2度は密告により失敗)、6度目にしてついに来日を果たした。
その時、仏師も含む鑑真の弟子たち(24人)も来日していた。
まさに弟子(仲間)と命がけの航海、
奈良時代のワンピースとも言われている(言われてませんw)
ONE PIECE 1 (ジャンプコミックス)
鑑真が、弟子たちからどれほどまで尊敬され、慕われていたかは、
その肖像の技法を見ればわかるという。
鑑真和上像は、脱活乾漆造(だっかつかんしつ)という、
あの阿修羅像と同じ技法で作られている。
土と木組みの土台に、麻布とペースト状の漆(うるし)を塗り付け、
表面が乾き固まった後、土台を取り除き空洞にする技法である。
しかし、鑑真和上像は、阿修羅像などに比べ、
表面が滑らかではなく、デコボコでいびつだという。
当時、洗練された仏像を作る技術は奈良にはあったが、
あえて、手作りのような質感を出しているのだという。
これは、おそらく弟子たちが、ヘラで綺麗に仕上げるのではなく、
指で撫でるように、漆を塗り込んだからと思われる。
さらに、貼り付ける麻布も、通常より目が細かく、
仏像には適していないものが使われている。
これも、鑑真が実際に着ていた着物を、
あえて使用したのではないかと思われている。
このような事実がわかったのは、平成23年(2011)4月からスタートした、
鑑真和上像のお身代わり像(レプリカ)の製作において、
詳細な調査をした結果からであった。
国宝 鑑真和上坐像」の高精細デジタルアーカイブを実施(凸版印刷)
レプリカというと語弊があるのだが、本来「本体」の鑑真和上像が、
命日の6月6日前後の3日間しか公開されないために、
いつでも鑑真の姿を見たいという、訪れる人への思いに応えてと、
鑑真没後1250年を記念して、製作&調査が行われたものである。
当時と同じ製法で、まったく寸分たがわぬ分身を作るため、
2年の歳月をかけ、ついに平成25年(2013)6月に完成した。
現在は開山堂にて、常時見れるようになっている。
もはや、分身といってもよいお身代わり像であるが、
なによりも、弟子たちが鑑真の姿、
鑑真の精神を、後世に残したかったという思いが詰まっている。
ぜひとも、唐招提寺を訪れた際には、
鑑真像を前に、鑑真と弟子たちに思いを馳せていただきたい。
■仏像DATA
名前【乾漆鑑真和上像】
場所【唐招提寺(MAP)】
製造時期【奈良時代】
技法・材質【脱活乾漆造】
像高【0.80m】
指定【国宝】