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五重塔は、今や日本の風情を現すものとなっているが、
本来は、釈迦の骨を納めた仏舎利を祀る墓標である。
元はインドにおけるストゥーパが原型で、
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仏教がインドから、中国、朝鮮半島を渡る過程で、
巨大な塔へ変化してきたとされている。
もちろん、日本へ仏教が伝来した際にも、
塔の文化も入り、飛鳥時代以降、日本でも多くの塔が作られた。
しかし、そのほとんどは現存しない。
その中でも、唯一と言っていい、現存する最古の木造建築である五重塔が、
法隆寺の五重塔である。
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建立は、7世紀から8世紀頃と思われ、
まさに飛鳥から奈良時代の姿を伝える貴重な五重塔である。
しかし、他の塔が倒壊するなどして無くなっているのに、
なぜ、この法隆寺の五重塔は1300年も残ったのであろう。
いろいろな要因が考えられるが(そもそも、奈良は災害が少ないなど)、
法隆寺の五重塔は、耐震構造になっているというのが有名な説だ。

五重塔は耐震設計の教科書-プラント地震防災アソシエイツ-
塔の真ん中の心柱は、塔を支えるような構造にはなっておらず、
むしろぶら下がっているような状態で、
それが振り子の原理になり、耐震構造になっているというのである。
この技術が応用され、スカイツリーも建てられた。
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構造技術の紹介-日建設計東京スカイツリー-
しかし、われわれは漠然と、
このような五重塔は、大陸から輸入されてきたものと思っている。
当時、仏教建築を作る技術がなかった日本人は、
大陸の技術者によってもたらされ、教えられたと。
だが、実際にはその大陸に残る仏塔と、
日本のそれとでは、大きく見た目も構造も違うことはあまり知られていない。
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上は、中国で唯一現存する木造の「応県木塔」で、
下は、韓国にある「法住寺捌相殿」である。
どちらも17世紀頃の再建で、日本の五重塔とは比較はできないが、
見た目が大きく異なるのはもちろん、構造も大きく違っているという。
中国などに見られる塔は、柱によって重量を支え、高くしてあるものなのだが、
日本の五重塔は、平屋がそのまま積み重ねられているような構造なのだそうだ。
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67.塔の積層方法 日本に有って中国に無いもの1
日本の古建築との違い9 韓国の古建築4 法住寺
6世紀に、仏教は百済から日本へ公伝したのは事実であるが、
現在の韓国には当時の建築物はまったく残らないので、
どのような技術が伝来したのかわからないのが本当のところだ。
ただ、大陸に残る塔の構造と、日本の塔の構造が大きく異なるところを見ると、
日本における五重塔は、日本の風土に合わせて、
独自に進化させた可能性が高い。
雨や湿気が多い日本では、屋根の軒を伸ばすことによって風雨から守り、
地震大国であるが故、心柱による耐震構造も兼ねる必要があった。
まさに、日本のために、日本で生まれた、
「シン・五重塔」と呼べるべきものではなかったのか。
このような発想は、日本の歴史を飛鳥時代以降で考える人には、
想像もつかないことであろう。
しかし、日本人は、縄文時代から木造建造物を作っていたし、
弥生時代から、銅鐸や銅鏡を作り鋳造技術を発達させていた。
なにも、6世紀になって初めて木造の建築物を作ったり、
仏像を造るための鋳造を始めたわけではないのだ。
むしろ、近年飛鳥寺のモデルとなったのではないかと言われた、
百済の王興寺跡から、日本産の勾玉が出土することから、
そもそも、百済の寺院建造には、日本人が関わっていた可能性がある。
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なぜゆえに、日本より先に作られた寺院あとから、
日本産の勾玉が出土するのであろうか。
この謎に答えられる人は、まだいないであろう。
これからの「シン・発見」に期待したい。