毎年5月19日に、唐招提寺にて「うちわまき」が行われる。
これは、鎌倉時代に唐招提寺を中興した「覚盛(かくじょう)上人」の命日に、
遺徳をしのんで行われる「中興忌梵網絵」法要の後に行われるもので、
名前のとおり、うちわをまく行事である。
これは覚盛上人が修行中、蚊にさされているのを弟子が見つけ蚊を叩き殺そうとしたところ、
「自分の血をあたえるのも菩薩行である」と言って戒めたことから、
覚盛没後、法華寺の尼僧が「せめてうちわで蚊を払って差し上げよう」とうちわを供えたことに始まる。
戒律(僧の掟)を主とする律宗の寺に相応しい、ストイックな僧侶の姿を伝える逸話だ。
しかし、私はあえて批判を覚悟の上で言わせていただくと、
この話は、少しあやしいのではないかなと思っている。
覚盛は、尼僧から尊敬を集めていたという事実と、
なにより、ハート型の可愛らしいうちわ(猪目模様と言い魔除けの意味もあるそう)。
案外、覚盛上人はあっち系の人で、
あーん。虫こわーい。
と言って、虫が怖くて殺せなかっただけなのではないだろうか。
尼僧に慕われていたのも、尼の気持ちがわかるからで、
ある意味、性を超越した存在として、覚盛上人は崇敬されていたのかもしれない。
そもそも、私はブッタ(釈迦)が出家したのは、
今でいう性同一性障害で悩んでいたからで、
嫁も子供いて何不自由ない王子の生活を捨ててまでも出家したのは、
他人には理解できない、凄まじい葛藤があったからなのではないかと思っている。
その証拠に、釈迦の姿を映す仏像は中性的な姿で描かれるが、
私は以前から仏像はオカマっぽいと思っていた。
こんなことを言うと、なんて失礼なこと言うのだ!と怒る人もいるかもしれないが、
それは逆にオカマに対して失礼である。
むしろ、オカマだからこそ人は尊く、美しいと思うのだ。
皆さんも、思い当たる節があるのではないだろうか。
オカマがしゃべると妙に説得力があったり、
ある時は男より男らしく、ある時は女より女らしく感じたりする姿は、
まさに悟りを開いた仏のようですらある。
同じく仏教を信仰するタイはオカマが多いと言うが、
もしかすると関連性があるのかもしれない・・・・。
2016年ニューハーフ世界一
タイ代表・ジラッチャヤーシリモンコンナーウィン
http://www.thaich.net/news/20170311ms.htm
参考サイト:
春・年中行事(唐招提寺)