奈良に来たならぜひ見るべき仏像と、
その魅力を発信していく「奈良仏像のすゝめ」。
今回紹介するのは、秋篠寺の「大元帥明王立像」

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6月6日の1年に1日しか公開されない秋篠寺の大元帥明王立像。
6本の腕には蛇が巻きつき、手には明らかに殺傷能力のある道具を持ち、
激おこスティックファイナリティぷんぷんドリーム状態の
その表情は、只ならぬ姿であることは誰しもがわかるであろう。
しかし、安心していただきたい。
大元帥明王立像のこのお姿は、我々日本を守ろうとしてくださっているお姿なのである。

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「大元帥明王」と書いて「だいげんすいみょうおう」
また真言密教においては、師を発音せず「たいげんみょうおう」とも呼ぶそうであるが、
もともと大元帥明王というのは、インドの神話において、
弱者を食う悪鬼神とされていたが、大日如来によって善神へと変わり、
その有り余る力は国家を守護する仏として信仰されていった経緯があるのだという。
日本においては、平安時代に常暁(じょうきょう)という僧侶が、
秋篠寺に籠って修行をしていた際に、仏に捧げる水を汲もうと閼伽井(井戸)を覗いたところ、
水面にこの激おこプンプンの姿と自分が重なって見えたという。
その後、遣唐使船で唐へ留学し、「大元帥御修法(たいげんのみしほ)」を学んだ際、
自分が閼伽井で見たその姿が、大元帥明王であったことに気付いた。
常暁は、その密教の呪術「大元帥御修法」を日本に持ち帰り、
それ以降、宮中では国難が迫った時に呪術が行われるようになった。
一説には、平将門の乱元寇襲来の危機が回避されたのも大元帥明王の力であったとされ、
第二次世界大戦中にルーズベルト大統領が亡くなったのも、
この大元帥明王の力であったのだという(震え声)

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まさに秘儀中の秘儀、国家的な機密でもある大元帥明王は、
その姿を彫刻として作られたのは秋篠寺のものが唯一で、
さらに、最初に大元帥明王が姿を現した秋篠寺の閼伽井は「香水井(こうずいい)」と呼ばれ、
そこで汲める香水(霊水)は、明治時代まで「大元帥御修法」に使うため宮中に献上されていた。
ある意味、秋篠寺で最も重要な場所であり、現在も「香水閣」として秋篠寺の一角に残る。
出来ることなら、もう、大元帥明王の力には頼らなくてよい世界であってほしいが・・・。

■仏像DATA
名前【大元帥明王立像】
場所【秋篠寺(MAP)】
製造時期【鎌倉時代】
技法・材質【】
像高【2.30m】
指定【重要文化財】

参考サイト:
大元帥明王(Wikipedia)
大元帥明王(仏像ワールド)
秋篠寺(うましうるわし奈良)