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平成29年7月15日(土)~9月3日(日)まで、
奈良国立博物館で特別展「源信 地獄・極楽への扉」が開催される。
この奈良出身(北葛城郡当麻)の源信というお坊さんは、
極楽浄土の世界観を日本人に広めた人である。
誰しも死んだら、阿弥陀如来のいる極楽浄土へ行きたい。
もちろん私も行きたいw
しかし、果たしてどうやったら極楽浄土へ行けるのであろうか。
そのような願いに応えたのが源信であった。
往生要集」という、極楽浄土のマニュアル本を書き、
今でいうところの本は大ベストセラーとなった。
いつの時代の人も、死後の世界は興味の対象である。
私の子供ころには、宜保愛子氏の心霊写真大百科がマストアイテムだったし、
夏になると、お昼には「あなたの知らない世界」という番組が放送していた。

しかし、我々のようなどちらかといえば娯楽としてあの世を考えるのではなく、
源信が生きた(942~1017年)平安時代末期には、
ある仏教思想が世の中に蔓延していたから起きた極楽浄土大ブームであった。

それは、「末法思想(まっぽうしそう)」である。
釈迦が亡くなってから2000年経った世界は、
釈迦の教えがすたれてしまって世の中に混乱が起こる、
末法の世が訪れると信じられていた。
その時期が、日本では1052年から始まるとされていて、
まさに平安末期の僧侶や貴族の間では不安が高まっていたのだ。
さらに、末法の世は現世では避けることができないので、
それならば死後の世界、あの世の極楽浄土で救われたいと、
広まっていったのが浄土への憧れ(信仰)なのだ。

そのような時代背景の中、源信の書いた「往生要集」は、
極楽浄土のマニュアル本としてブームの火付け役となり、
具体的なその極楽浄土や地獄のイメージは、人々に多大なる影響を与えた。
おそらく、平安時代に流行語大賞があったなら、
「南無阿弥陀仏」が受賞して、
グーグル検索では、「極楽 阿弥陀 行き方」などが、
検索数で上位を占めていたのであろう。
さらに、この時期に作られたであろう「竹取物語」「中将姫伝説」も、
明らかに浄土信仰に影響をうけているもので、
メディアも巻き込んでの一大ムーブメントだったのだ。
コラム4「竹取物語と仏教」

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また源信は、極楽浄土から阿弥陀如来にお迎えにきてもらいたいのなら、
一心に阿弥陀如来のことを想い、念仏を唱えるしかないと説いたことから、
より一心に想うため、極楽浄土と阿弥陀如来を具体化した、
浄土式の寺院が作られるようになる。
一番有名なところでは、宇治の平等院が知られるであろう。
まさに1/1スケールで極楽浄土の世界が再現された境内は、
そこに立てば、深くイメージしなくても極楽浄土がどんなところであるかよく分かるのだ。
貴族がこのような立派な浄土式寺院をこぞって作ったのは、
裏を返せば、「自分は地獄に落ちるであろう」と思っていたのかもしれない。
そのような心理は、現代人にも通じるものはあるのではないだろうか。

参考サイト:
源信(Wikipedia)
末法思想と空也の浄土教(日本の歴史についてよく分かるサイト)

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