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聖徳太子といえば、奈良が生んだ
歴史上最も偉大な人物とされているお方で、
父親は用明天皇。今でいえば、皇太子殿下である。
604年推古天皇の摂政となり、冠位十二階や十七条憲法、
隋との対等外交を目指したなど、あらゆる逸話で知られる。
しかし、意外なことにその墓所は、
大阪にあるのである。

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大阪府南河内郡太子町「叡福寺」に聖徳太子の御廟はある。
なぜ故に?と思われる方も多いかもしれない。
しかし、この叡福寺周辺には、
父の用明天皇をはじめ、推古天皇、敏達天皇、孝徳天皇
聖徳太子に所縁の強い飛鳥時代を代表する天皇陵が密集する地でもあるのだ。
その慣例に従ってか、聖徳太子も生前(620年)にこの地に墓所を決めていたという。
そもそも河内飛鳥とも言われるこの地は、蘇我氏の出身地であったといい、
蘇我氏と所縁の強い聖徳太子だけに?
また難波の港へ抜ける竹内街道のとおる場所で、
精神的にも政治的にも重要な(神聖な)場所と考えられていただけに?
また、叡福寺のあるあたりは、難波から見て近い飛鳥だったので、
近つ飛鳥と呼ばれ、今の明日香村のあたりは難波から遠い、遠つ飛鳥と呼んだ。
いわば、今は行政区分では大阪府ではあるが、
ある意味では、この地も広域では、大和(奈良)だった
と言ってもよいであろう。
もうめんどくさいので、全部奈良ということにしておこうΣ(゚Д゚;)

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聖徳太子の墓所とされる、叡福寺の御廟所には、
母の穴穂部間人皇女、妻の一人膳大郎女(かしわでのおおいらつめ)
そして、太子が眠るとされている。
径50メートル、高さ10メートルほどの方墳で、
内部は精巧な切石を用いた横穴式石室になっているそうで、
近くの「近つ飛鳥博物館」には、その古い資料を元に復元された、
内部の実物大の模型が展示されている。
この三棺になった経緯については諸説あるようだが(聖徳太子廟の謎)、
少なくとも、江戸時代に記録などから、
現在の御廟の中がこのような姿なのは間違いないようである。
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法隆寺には、聖徳太子の等身大と伝わる救世観音(178cm)があるので、
奈良仏像のすゝめ17「救世観音像」
棺のサイズなどが少し気になってしまうが・・・・。

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近くには太子温泉も。

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「道の駅 近つ飛鳥の里・太子」。
太子町は、まさに聖徳太子の町だ。
以前、教科書から聖徳太子の名前が無くなるのではないか?と騒がれたことがあったが、
一番困るのが太子町であり、たいしくんであったw
「聖徳太子」の名前はもはや日本人の共通意識である。
「聖徳太子」は「聖徳太子」以外の何者でもないのだ。

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名前の偉大さとは裏腹にひっそりとしている道の駅であるが、
以前ここで買ったぶどうが無茶苦茶美味かった


■叡福寺
住所【大阪府南河内郡 太子町太子2146
電話番号【0721-98-0019
駐車場【あり】
HP【http://www.shin-saigoku.jp/temple/11_eifukuji_01.html

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歴史秘話ヒストリア「聖徳太子の棺 伝説のその先へ」を見て
コラム57「聖徳太子否定説を否定」
コラム22「四天王寺と金剛組」
コラム19「聖徳太子」

参考サイト:
聖徳太子のお墓はどこに!? 古代史のヒーローの最期に迫る!
聖徳太子墓(太子町ホームページ)
叡福寺(Wikipedia)