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大安寺の歴史を探る: 大安寺歴史講座2

かつては、名前のとおり奈良で一番大きかった寺であるが、
現在はその見る影もなく、ガン封じの笹酒祭りなどで知られるものの、
観光地としての印象も薄く、訪れる人もそう多くはないのではないだろうか。
そんな大安寺にスポットをあてた、初?の大安寺専門書が本書である。
大安寺の創建は、飛鳥時代の舒明天皇までさかのぼり、
「百済大寺」として天皇が創建した寺院としては初であった。
その後、「高市大寺」「大官大寺」を経て、平城京に移転してきて「大安寺」となり、
東の大寺「東大寺」、西の大寺「西大寺」、
そして大安寺は南の大寺「南大寺」として栄えた。
しかし、時代とともに衰退の道を辿り、寺の大部分は遺跡として地中に眠ってしまった。
個人的におもしろかったのは、西塔跡の礎石の話で、
伝説によって礎石が守られたというのは興味深い。
明日香村に行くと、よく昔のものがほどんど残らないので、
想像しながら観光するなんて言うが、
大安寺の魅力を感じるにもそれなりの知識が必要である。
しかし、街中にこれほどの大寺院跡が眠っていると知ったとき、
またそれは違った驚きと感動を覚えるのだ。
ぜひ皆さんも大安寺の歴史に触れ、
奈良の奥深い歴史ロマンに出掛けていただきたい。

目次:
はじめに
第一部 大寺の創建
 完全に残る「大安寺伽藍縁起并流記資財帳」
 大安寺の始まりは聖徳太子の熊凝精舎か
 百済大寺は天皇家が初めて造営した寺院
 百済大寺の所在地についての諸説
 吉備池廃寺の発掘調査、巨大な寺院跡が
 出土瓦から見ても吉備池廃寺こそ百済大寺
第二部 高市大寺から大官大寺へ
 百済大寺の造営は皇極天皇が継承
 天武天皇は百済大寺を移し高市大寺を造営
 天武天皇と文武天皇の大官大寺
 大官大寺跡の発掘調査
 天武天皇の高市大寺はどこに
第三部 平城遷都と大安寺の造営
 平城京での大官大寺(大安寺)建設が決定
 平城京に十五町もの大安寺の敷地
 大安寺の七堂伽藍
 大安寺式伽藍配置の特徴
 古代仏教寺院の伽藍配置
第四部 大安寺の遺跡と遺物
 発掘調査で明らかになった大安寺の壮大な伽藍
 南大門は大きく格式高く
 横長の中門
 大官大寺の二分の一の回廊
 まぼろしの金堂
 講堂の広さは金堂の約二倍
 西と東の二つの楼閣、鐘楼と経楼
 伽藍三方をとり囲む長大な僧房
 食堂はどこに?
 杉山古墳で大安寺の瓦を焼く
 出土する瓦が語る大安寺の歴史
 焼土から唐三彩やガラスなど華やかな遺物
第五部 道慈の大安寺改造
 唐から帰国した道慈が大安寺造営に携わる
 大安寺伽藍は大官大寺伽藍をもとにした
 多数の僧侶の養成をめざした道慈の理想
 山林修行を好み験力を得た道慈
第六部 大塔建立とその後
 中心伽藍の地区と同じ広大な塔院
 古くから史蹟として保護された塔跡
 発掘調査からわかる西塔の姿と歴史
 西塔跡から出土した相輪金具
 東塔の消失は鎌倉時代
 東塔の建立の時期は?
 東塔は鎌倉時代に修理される
 大塔こそが大寺の象徴
 光仁・桓武天皇と大安寺
 平安時代以降の災厄と大安寺の衰退
まとめにかえて
大安寺関係年表