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毎年12月16日は東大寺において「良弁忌(ろうべんき)」が行われる。
東大寺の初代別当である「良弁」の命日に行う法要で、
この日は開山堂の秘仏である「良弁僧正坐像」、法華堂の「執金剛神立像」、
俊乗堂の「重源上人坐像」などが開帳され、修二会の連行衆も発表される。
良弁は、東大寺の前身となる「金鐘寺(こんしゅじ)」を創建し(現在の法華堂)、
鑑真と共に大僧都に任命されたほどの僧侶であるが、
鷲に連れられて奈良に来たというエピソードで知られ、
波乱万丈の一生を遂げた僧侶でもあった。

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二月堂の前にある大きな杉を「良弁杉」と呼び、
良弁が鷲にさらわれてこの地にやってきたという故事にちなむ。
ちなみに、このエピソードにはかなりのバリエーションがあるそうだが、
鎌倉時代に書かれた「良弁物語(元亨釈書)」が元になり、
明治以降に歌舞伎や浄瑠璃、舞台劇「二月堂良弁杉由来」として演じられるようになり、
広く知れ渡るようになったという。
おおむね、内容は以下のとおりである。

滋賀県のとある里で、「子を授かりたい」と観音様へ祈りを捧げた女がいた。
すると女はたちまちのうちに身ごもり、やがて子が生まれた。
しかし、子が2歳になったとき、女が畑仕事をしていると
オオワシが現れて子がさらわれてしまう。
一方、奈良の義淵(ぎえん)という僧侶が、
大きな杉の木で羽を休めるオオワシと子を発見する。
子を助けた義淵はその子を引き取り、育てることとなった。
月日が流れ、東大寺に良弁と名乗る高僧の評判が広まり、
その高僧が幼いときにワシにさらわれてきて育てられたという話も広まった。
その話を聞いた女(母)は、すぐさま東大寺へ向かう。
飲まず食わずでやってきた母が、疲れ果てて寝そべるように休憩をしていたところ、
良弁が通りがかり「旅の者、大丈夫か?どちらへ行かれるのか?」と声をかけた。
すると女は「東大寺まで・・。我が子が僧侶になっている噂を聞きつけ会いに来ました。」「我が子は、このような手彫りの観音像を持っています。」と服の襟にかけた小さな観音像を取り出した。
それを見た良弁も、同じように服の襟にかけた手彫りの小さな観音像を取り出し、
2人は30余年ぶりの感動の再開をはたしたのであった。
めでたしめでたし。


という、まさに全米が泣いた感動秘話
しかし、どこまでが本当かわからないような話で、
特に、ワシが子供をさらうことなんてあるのかと思ってしまうが、
実際にイヌワシが子供を連れ去ったという案件はあるという・・・。
【ビッグバード】広島県三次町大鷲小児連れ去り事件(Book Wiki Portal)
良弁の逸話も、平安時代後期に編纂された「東大寺要録」などには、
すでにワシにわらわれた子供の話は書いてあるようで、
なにかしらの事実が元にされている可能性はあるのではなかろうか。
ぜひ、スピルバーグあたりで映画化を熱望したいところだ。

参考文献サイト
きょうの奈良 まほろばの国の三六五日
奈良 東大寺「良弁杉」(二月堂)東大寺・御朱印
良弁 Wikipedia
良弁忌の東大寺開山堂(奈良の宿大正楼)
良弁杉(コトバンク)
二月堂を見上げて(ゆんフリー写真素材集)