このところ、連日のように世間を騒がしている奈良公園バスターミナル問題。
問題を追及された知事は、つい本音が出てしまったのか、
または逆ギレしてしまったのかはわからないが、
「大仏だけ見て帰る人は来なくていい」というような失言をしてしまった。



もちろん、各方面から批判や呆れの声があがったが、
これぞ大仏商法の真髄を見たと、逆に関心するような声も出た。
もちろん悪い意味でだ。
ただ私は、大仏商法のすべてが悪いとは思わない。
それは、裏を返せば奈良の大仏はマジで凄いということでもあるからだ。
奈良はポテンシャルの高さで言えば日本でもトップクラスであろう。それは事実だ。
ただ、そのポテンシャルの高さにあぐらをかき、せっかくのポテンシャルを活かせない。
永遠のポテンシャル。眠れる獅子。眠れる大仏w
そこが問題であるのだが、今回のような観光客に喧嘩を売るような知事の発言も、
普通であれば炎上し、本当に誰も奈良に来なくなってしまうところであろうが、
少なくとも奈良に人が来なくなるということはないであろう。
だって、大仏があるもの。
それが大仏商法である。

ちなみに、この「大仏商法」という言葉。
いつから使われ出した言葉なのかハッキリわからないないのだという。
私は江戸時代の大仏再建以降、たくさんの参拝客が一気に訪れるようになって、
殿様商売的になってしまった
奈良を揶揄して生まれた言葉だと思っていたのが、
元は良い意味で使われていた可能性もあるみたく、資料文献では遡れないのだという。
「大仏商法」という言葉の起源や背景、また1688年の大仏開眼供養や1709年の大仏殿落慶法要の際の奈良町の様子について、詳細に書かれてた文献を紹介してほしい。(リファレンス協同データベース)
しかし、これほど言い得て妙な言葉もないであろう。
たしかに、奈良には大仏商法の文化がある。
よく言えば仲間意識が強く、地元(既得権益)を守る保守的風土。
悪く言えば、自分のことだけしか考えていない外者(お客)軽視の傾向。
奈良はのんびりしているというが、それはただの怠け者なだけ。
大仏商法は、なにも観光業に限った話ではなく、
すべての業界に共通する話である。
奈良の産業(製造業、建設業、金融業、運輸業、小売業、サービス業)は、
基本全部大仏商法と言っても過言ではないだろう。
行政ももちろんのこと、私は警察すら大仏商法ではないかと思う時すらある。
もちろん例外もある。でも、それは奈良らしくないという雰囲気が漂ってたりする。
いろいろボロクソ書いてしまったがw私は奈良のことが大好きであり、
また大嫌いでもあるから
こそこんなことが言えるのであるw
大仏商法も大切な奈良の県民性であると思う。
そのような風土が数々の文化財を残してきた一因であるのも否定できないのではないか。
都会の様に殺伐になれば良いという問題でもない。
ただ、もう少し頑張ろうよという話であるw

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コメント

 コメント一覧 (2)

    • 1. きたまち民
    • 2019年10月15日 10:05
    • まんじゅうの林神社の家系で室町時代に辞書を作った林宗二という人がいますが、
      当時も伽藍・宗二・香の物は奈良にはもったいないという諺があったので、
      すでに奈良らしさとか奈良らしくないイメージはできていたのでしょうね。

      大仏殿再建のエピソードは色々あるようですが一番スゴイと思ったのが、
      大阪から奈良への観光客を運ぶ駕籠が毎日800台近くに登った逸話ですね。
      今ならロング客を乗せたタクシーが阪奈道路を800台走っているようなもんでしょうか。
    • 2. マジカルミステリーツアー マジカルミステリーナラツアー
    • 2019年10月16日 17:42
    • >>きたまち民さん
      江戸時代はさぞかし凄かったのでしょうね。しかし、にぎわうということはそれだけに地元の人間が迷惑する場面もきっとあったはずで、当時も思わず本音を言ってしまうような奉行もいたかもしれませんw
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