Magical Mystery Nara Tour

独自の視点で奈良の魅力&情報を発信していきます。

カテゴリ: コラム

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2018年4月20日にオープンした道の駅「レスティ唐古・鍵
田原本町周辺の観光拠点にも期待される道の駅で、
私も先日ようやく出向いたが、平日に関わらず大勢の人でにぎわっていた。
ネットを見ていても、その話題ぶりは伝わってくるが、
あまり遺跡について注目している人は少ないように思う。
当サイトでは、新たに整備し直された遺跡エリアの紹介とともに、
唐古・鍵遺跡の遺跡としての意義、魅力を紹介してみたい。

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「唐古・鍵遺跡」は、奈良県磯城郡田原本町に位置する、
近畿最大の弥生時代の遺跡であり、弥生時代前期(紀元前4世紀頃)から、
弥生時代後期(3世紀頃)まで続いていた集落跡である。
地名である「唐古」と「鍵」という地域にまたがる遺跡であるから、
「唐古・鍵遺跡」と呼ぶわけであるが、直径600mほどの楕円形で、
42万平方メートル(甲子園球場10個分)にもなる巨大な遺跡であることがわかっている。
最大の特徴は、環濠集落になっていることで、
環濠は変形しながら弥生時代中期(紀元100年頃)には集落全体を囲み、
幅8メートル、深さ2メートルほどもある大環濠を造成されていた。
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今回の整備に伴い、環濠も一部復元され、遺跡の雰囲気がわかるようになった。
集落には、大型の建物跡や土器、石器、
青銅器(銅鐸)を自作する体制が整っていたことが遺跡から判明しており、
特に楼閣の絵が描かれた土器は有名だ。
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公園内に復元されている二階建ての物見台のような楼閣は、
その土器の絵から復元されているもので、
おそらく、このような建物が建っていたのではないかと推測されている・・・・。
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以前は、このように復元された楼閣だけが不気味に建つ場所であったが、
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楼閣自体も整備しなおされ綺麗になった。

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その他、公園内には平城宮跡の遺構展示館のように、
最大級の柱が使われていたという大型建物跡が保存展示されている。

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屋外には、柱跡が復元された大型建物跡も。

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また、唐古・鍵遺跡のもうひとつの最大の特徴が、
この地で銅鐸を作っていたということである。
銅鐸といえば、出雲の荒神谷遺跡から大量に発見されたことでも有名だが、
使用方法など、一切謎とされているものである。
なぜ謎かというと、その後の日本の文化に銅鐸が伝えられていないからである。
その銅鐸の、ある意味では生産拠点でもあったといえる唐古・鍵遺跡であるが、
弥生中期の終わり頃(1世紀頃)には、洪水に見舞われ環濠が埋もれており、
その後、弥生時代の終わり(3世紀頃)にかけては、徐々に土器などの捨て場になり、
衰退し放棄されていったことがわかっている。
その唐古・鍵の消滅にかわって現れるのが纏向遺跡で、
纏向遺跡周辺においては、銅鐸は破壊された?破片でしか発掘されない。
また纏向遺跡では環濠が確認されておらず
唐古・鍵の消滅とともに、銅鐸文化、および戦争が終結したということであろうか・・・。
このあたりに日本の古代史の最大の謎、または解明の糸口があると思われるが、
纏向遺跡の発掘も未だ数パーセントに過ぎず、全容解明には至っていない。
以前に紹介した、牧村健志氏の「よみがえる神武天皇」は、
奈良の本9「よみがえる神武天皇」
そのあたりの謎を「日本書紀」「古事記」に求めたものであったが、
科学的かつ大胆な推理はとてもおもしろかった。
興味がある方はぜひ一読をおすすめしたい。
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「レスティ唐古・鍵」内は、そんな歴史ロマンを感じさせない日常感が漂っていたがw
奈良のまた奥深い歴史が感じられる場所である。
ぜひ皆さんも機会があれば訪れてみてはいかかであろうか。

■レスティ唐古・鍵

住所【奈良県磯城郡田原本町大字唐古70番地の1】
電話番号【0744-33-9170】
営業時間【9:00~18:00】
駐車場【85台(大型車 10台/乗用車 75台)】
HP【http://www.narakotsu.co.jp/kanren/karako-kagi/

参考画像元サイト:
27.奈良・唐古・鍵遺跡-近畿の代表的な弥生遺跡ー

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葛城市にある柿本神社では、
4月18日に一風変わった名前のお祭りが行われる。
それが、「ちんぽんかんぽん祭」である。
決して、「ちんぽこちんちん祭」などと言い間違えてはならない。

冗談はさておき、
柿本神社は、「柿本人麻呂」を祀る神社であり、
宝亀元年(770年)石見で没した柿本人麻呂の亡がらをこの地に葬り、
傍らに神社を建立したのが始まりとされる。
その人麻呂の命日とされる4月18日に豊作を祈り行われるのが、
上記の呼び名のお祭りであり、
かつてお祭りで打ち鳴らされた太鼓や鈴、笛の音を擬音語で表したのが、
祭りの名称になったといわれている。
これが本当の「ぎおんまつり」であろう。
奈良にはこのような「ぎおんまつり」は多々あり、
天理市の大和(おおやまと)神社の「ちゃんちゃん祭」
橿原市の畝傍山口神社「でんそそ祭」などが知られる。
現在では、音を打ち鳴らすようなことはないようであるが、
毎年、「ちんぽんかんぽん祭」は粛々と執り行われている。
柿本神社(ちんぽんかんぽん祭)-神道祭祀探訪記

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柿本神社は、近鉄新庄駅の真横といってよい場所にある。

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私のように卑猥な言い間違いをする人へ特別警戒であろうか。

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本堂には、三十六歌仙の扁額が掲げられている。

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境内には歌碑「春楊(はるやなぎ) 葛木山に たつ雲の 立ちても坐ても 妹をしそ思ふ」と、

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大和郡山藩主松平信之が天和元年(1681年)建てたという人麻呂の墓がある。

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境内には「影現寺」という寺が隣接しており、
弘法大師空海の直弟子である真済上人によって開かれた寺院という。
一説には真済上人は柿本人麻呂と又従兄弟の関係にあると言われており、
柿本人麻呂を弔うために、柿本神社を護る神宮寺として建立されたという。
ここにもあった神仏習合の名残りである。


■柿本神社(影現寺)
住所【奈良県葛城市柿本161】
駐車場【なし】
HP【http://www.yougenji.jp/index.html

参考サイト:
柿本神社のちんぽんかんぽん祭(葛城市HP)

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